主の御言葉を研究する

【創世記】人は土で形作られ、命を吹き込まれた。

神秘早紀

今、心が変わりつつあるのを感じます。

ここ最近、
教会のメンバーと共に

教会で正式に実施している
勉強会とはまた別に

創世記を学ぶ会を
しているところです。

自分一人でも
読んだはずですが、

人が集まって学ぶと
面白いものですね!

神さまの御業はすごすぎる。

創世記1章は
あまりにも壮大で

それゆえに
サラリと読みがちでした。

1章については
まだ整理がついておらず。

2章に入り、
人間とは何者なのかを
見た気が私にはします。

主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

(創世記 2:7)

すごくないですか!?

土で人を造られ、
息を吹き入れられ、
生きた人となったのですよ。。

すごすぎます。

人間の尺度では
到底考えられない御業です。

賛美せずにはいられない。
あまりにもすごすぎる。

創世記を読み、人間について考える。

聖書では人と言われていますが
人間で馴染んでいる私、

今度どこかで
紐解いてみたいものです。

とりあえず話は戻し、
(創世記 2:7)では

ここで初めて、
『主(LORD)』が
出てきます。

文字そのままの通り
私たちの主人ということ。

神さま自らが
人の創造すぐに
言われています。

アーメンです。

あまりにも壮大な
主であられる神さまは、

一番最初から言葉だけで
万物を造られます。

その神さまが、
土で私たち人間を
形つくられました。

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

(創世記 1:27)

被造物である人間を
神さまと同じ御形にされ、

自由意志あるものに、
そして永遠の命を
与えてくださったのです。

まぁ、3章での
サタンの登場から

善悪の知識の木という
ただ一つの律法を
破ったわけですが。。

主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。 17しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。

(創世記 2:16~17)

自由意志があり、
律法を命じたのは、

神さまは愛だからこそ
だと思っております。

愛は強制ではないから。

創世記は
章ひとつひとつが
一層深いですね。

聖書を読み、教会と分かち合う学びを経て。

私が今こうやって
記事を書けるのは

聖霊の内在も
あると思うのですが、

教会メンバーとの
助け合いもあってこそ
だと思っています。

人と人との関係の中で
生きていくのだと
感じさせられます。

そん私は
これまでの記事では、
恐れ多くも

解説・解釈を
語っておりました。

神さまの御言葉が
記されている聖書を。

しかし、
教会で学ぶようになり

人と交わり話し合うことで
これまでの価値観が

独りよがりだったことに
ふと気づいたのでした。

聖書を読むと言いながら
知識(だと思っている)を
語り、振りまき、

伝道の一環をしているのだと
とんだ勘違いを
しておりました。

私は一体何者ですか?

私は、聖徒です。

神さまを理解しようと
頭でっかちにならず、
注意をしなければなりません。

神さまは、
天地を創造されたお方です。

その神さまを理解しようなど
天と地ほどかけ離れている
とんでもない御業を

人間の尺度で測ろうなど
おこがましいのです。

御言葉もそうです。

文字になっているが故、
あれこれと
解釈しがちですが

根本的にズレています。

・・・ということに
教会へと通う中で
思い起こさせられました。

主イエス様に
感謝いたします。

アーメン。

神秘早紀

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