主の御言葉を研究する

バプテスマ(洗礼)を受けたい!!!

神秘早紀

こんにちは。神秘早紀です。

イエス様を信じ、
聖書の御言葉を取り入れ、

もう2ヶ月が
立ちました。

早いような、
でも時を長く感じるような。

そんな私は、
バプテスマを
受けていません。

(水に沈めること)

今日は私の密かなる
バプテスマへの願望を
記録したいと思います。

目次

バプテスマとは? 受けたいと思った理由

一時期は、
それは受けずともいいと
思っていました。

だって、自分の中に
聖霊が降ることが
バプテスマでもある
と思ったからです。

そこで一度、
バプテスマ(洗礼)とは?
考えてみたいと思います。

バプテスマとは?

キリスト教において、信仰の表明と新しい人生の始まりを表す儀式をいわれています。原罪を負った人間が、イエス様を受け入れることで新生するためです。やり方は、水の中に入る、水に浸して洗う、または水をかける、または水を注ぐなど、キリスト教派によってやり方はあるようです。いずれも、水を用いて行われます。

バプテスマの起源

旧約聖書のヨルダン川で、イエス・キリストが洗礼者ヨハネによって受けられたことに遡ります。そして、水を用いるという起源には、旧約聖書にあります。旧約聖書の時代には、水は汚れを清めるものとして使われていました。また、水は神の愛と恵みを象徴するものとしても使われていました。何よりも、イエス・キリストは、罪の赦しと新しい人生の始まりを象徴して洗礼を受けられました。

罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

(マタイ 3:6)

ここで、
私がどうしても

バプテスマを受けたい
重要な理由があります。

こちらの聖句を読んでから
絶対に受けるべきだと
感じたのでした。

そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。

(マタイ 3:13)

ですが、ヨハネは
最初こそ戸惑いました。

むしろ、逆に
「私があなたから受けるべきだ」
と思うくらいに。

実際、イエス様は
洗礼を受けなくて
良いはずでした。

なぜなら、
イエス様は
罪を犯していません。

人類史上、
この方ただ一人、
無罪の方なのです。

ゆえに、
洗礼を受ける必要は
本当はなかったのです。

それでも受けたのは
私たちに対しての
模範であり、

先生として
教えてくれたに
違いありません。

ということから、
私は是非とも
受けたいのでした。

バプテスマを受ける重要性

教会に通っているかとか
何か組織に属しているとか

一人で聖書を
読んでいるだけとか

様々な様式で、
人は信仰生活を
送っていると思います。

どんな
信仰スタイルであっても

真のキリスト者への道は
バプテスマを受けてからが
スタートだと

私は密かに思っています。

イエス様は
自ら行動して
示してくださいました。

イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自身の上に降って来るのを御覧になった。

(マタイ 3:16)

水という物質は
とても不思議です。

私は水を通して
聖なる儀式を行うことは

とても意味のあること
だと思っています。

水で罪が消えるのか?
消えると私は思いますし、

誘惑にも立ち向かえると
思っております。

だって、この
マタイの福音書3章の次が

4章で、
イエス様はサタンから
誘惑を受ける話に移ります。

この流れは
偶然ではないはずです。

バプテスマという行為が
重要ではないのなら
(受けなくてもいいのなら)

イエス様は
そう言うでしょう。

聖書には
明記されていない
かもしれませんよね。

しかし、聖書では
イエス様自らの意思で
受けられたのです。

私はとにかく今、
バプテスマを受けたくて
仕方がありません。

・・・と同時に、
まだタイミングではない

という気もします。

もう少し、
聖書研究をしてから

私はバプテスマを
受けたいと思います。

神秘早紀

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