スピリチュアルからキリストの道へ

【中身がない人】聖書を読めば、自分探しも終わりになる。

神秘早紀

こんにちは。神秘早紀です。

私はずっと
『自分探し』を
してきました。

私生活では
仕事を転々として

自分に合っているものを
探そうと必死になったり

新しい自分に
なるため

自己啓発や精神世界の
本やセミナー、動画を
読み込んでいました。

これらを経て
自分を見つけたか?

・・・結論、
意味ないですね。

内側はずっと
空っぽでした。

中身がない自分が
嫌でした。

そんな私は今、
ある真理に出会いました。

生き方を
模索している方は

きっと
ためになるでしょう。

それでは、いきます!

目次

なぜ、中身がないのか?すべての人に当てはまるお話。

スピリチュアル 危険

ここで、
聖書の知恵があります。
(世界最大のベストセラー)

突然の聖書ですが、
これでもかと
答えが書いてありました。

私たち人間は
造られました。

神さまによって。

その神さまとは、
概念ではありません。

三位一体です。

どういうことかと
いいますと・・・

3つの構成で
神さまなのです。

神さまとは、三位一体である!

1)
創造主(天のお父様と言われている)

2)
イエス・キリスト(人間として生まれた)

3)
聖霊(霊)

今はよくわからなくても
ぜんぜんOK。

ともかく、
三位一体なのです。

そして、これは
私たち人間も
当てはまります。

なぜなら、
人間は神さまに
型取られて造られたから。

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うすべてを支配させよう。」

(聖書の創世記 1:26)

※神さまは
ご自身のことを
我々と言う方です。

造られた最初の人間、
アダムは罪を犯しました。
妻・エバと共に。

神さまが

取って食べるなと命じた木
(創世記 3:11)

の果実を食べてため
エデンの園から
追放されたのでした。

これは
今のなお、私たちは
受け継いでいます。

人間だから。

つまり、
生まれた時から
罪を相続しています。

これと、
中身のない人との
関係はといいますと・・・

罪人の身体ゆえ
内面的な空虚感が
常にあるのです。

神さまから
離れてしまった(罪)
からなのです。

聖書のいう『罪』とは?

モーセの十戒

私たち人間は
どんな人であれど

内側に空虚感を
抱えています。

アダムの時から続く
罪が人間には流れているから。

私たちは、
その空虚感を
埋めるために

いろいろなことを
しています。

例えば、私の場合は
冒頭でも述べたように

自己啓発本や
スピリチュアルを探求し

自分探しの旅を
しまくっていました。

これが、罪なのです。

罪とは、
聖書でいうところの
『十戒』という戒律で
定められているものです。

聖書の出エジプト記で
詳細に書かれています。

が、長いために
省略してご紹介します。

 ↓  ↓  ↓

モーセの十戒(聖書)

1)
創造主以外の神への信仰禁止

2)
偶像礼拝の禁止

3)
神の名の乱用禁止

4)
6日間労働と7日間安息日の命令

5)
父母尊敬の命令

6)
殺人禁止

7)
姦淫禁止

8)
盗み禁止

9)
偽証禁止

10)
貪欲禁止

罪を犯している以上、
私たちは本当の意味で

満たされることはなく
渇くばかりなのです。

そう、創造主は
決められたのです。

では、ずっと
自分は空っぽのまま
なのか・・・?

そう思う方も
いらっしゃるかも。

先に言っておきますが
大丈夫です。

次に説明いたします。

罪を抱えるすべての人間は、どうしたら満たされる?

聖書 罪

結論をいいますと、

イエス・キリストを
受け入れる道しか
方法はありません。

これは宗教ではなく、
アダムの頃から続く
罪の贖いのお話であり

まぎれもない真実。

これを信じる人は
少なく、

空っぽな人が
非常に多い現代です。

あなたは信じますか?

私は信じています。

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

(ヨハネ 14:6)

なぜ、イエス・キリストなのか?

理由は明白です。

彼は私たち人間の
罪を帳消しにするために

神さまとの契約を
新たにするために
十字架で死ぬことで
贖われたのです。

この時点で、
いろいろ疑問がでますよね。

「十字架で死ぬと、罪が帳消し?」
 
イエス!
神さまがそう
決められたからです。

「昔の出来事が、今に通用するの?」
 
イエス!
神さまは
時間を超越されます。

「イエス様も神さまでしょ?」

イエス!
神さまは三位一体ですが
イエス様は人の子
として生まれました。

そう、神さま自身が
計画されたのです。

天のお父様と対話も
しております。

イエス様を信じるとは、
新生する信仰です。

人間は罪の子ですが
イエス様を信仰すると

聖霊(三位一体の神の霊)が
その人間の内側へと
宿ります。

これが、
生まれ変わったということ。

罪の子ではありません。

これを一人ひとり
誰にでもチャンスに
預かれるようにと

イエス様は契約のもと
十字架で死なれたのです。

罪がまったくない
神の子イエス様の
お命と引き換えに。

だから、
私たちは感謝をして
受け入れようでは
ありませんか。

まとめ

父、子、霊

中身がない人とは
イエス様を知らずにいる
人間のことです。

頭がいいとか、
仕事ができるとか、
お金をもっているとか

社会的な成功とか、
有名だとか、
すごい才能があるとか、

友達が多いとか、
美人・イケメンだとか、
特別だったりとか、

そんなことで
内側の空虚感は
埋めることなど
できません。

いつまでも
いつまでも、

追い求める人生を
歩むばかりです。

そこから抜け出すのは
イエス様への信仰です。

このお話は
カルト宗教ではありません。

神さまに
失礼ですよ・・・。

イエス様という

過去・現在・未来の
人間を救うために
現れた救世主を

どうか
知っていただきたい。

そして、
受け入れてみてください。

この時、あなたは
満たされるでしょう。

空虚感は
もうありません。

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。

(ヘブル 11:1~2)

人生に迷える
すべての方の

生きる道を
祈っております。

そして、どうか
私のためにも
祈ってください。

アーメン。

神秘早紀

-スピリチュアルからキリストの道へ

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