ショッピング中、
室内を歩いていた時です。
知らない男性と
すれ違いざまに、
私のカバンと
相手の腕が当たりました。
私はこの時、
わざとだと感じました。
なぜなら、
力を感じたから。
すれ違う時から、
じっと見られていました。
とはいえ・・・
私がもっと大きく
避けていれば
ぶつからなかったのかな
・・・と、あとで思いますが。
ともかく、
ぶつかったのでした。
結構、衝撃が
強くぶつかったので、
思わず私は振り向きました。
(反射ですね、でも、
何ででしょうね・・・)
すると、
その男性も振り向いていて、
怒り狂った表情で
何やら言っていました。
私はイヤホンをしていたため
一切聞き取れず・・・
よくわからずとも
わかるというか・・・
なんか一瞬にして
不愉快・悲しい・理不尽、
色々な感情が湧き出て、
でも
無視して歩いて行きました。
こういう風景って
別に稀な話では
ないと思うんです。
(なんて時代だ)
例えば、
どこかぶつかっても
今の人は
知らんぷりばかり。
または、わざと。
これって、
おかしくないですか?
よくある風景とか
言いましたが、
これって、
普通でしょうか?
私は東京生活も長いため、
このような経験は
何度もしたし、
何度も見てきました。
それゆえ、
いつからか
疑問を持つことも
なくなり
でも、
嫌だなぁとは思っていて
日々を疲れて
過ごしていました。
私は今日、
この出来事で悲しくなり、
家に帰って
すぐに泣いて
お祈りしました。
この世がおかしいから、
人も狂う。
あの人が
おかしいわけではない。
私がおかしい
わけではない。
でも、
正しくはない。
愚か者は自分の感情をさらけ出す。知恵ある人はそれを制し沈める。
旧約聖書・箴言29章11節
私はただただ、
この悲しい出来事が
猛烈に悲しくて
仕方がなかった。
中には、
「仕返ししてやろう」とか
「文句を言ってやろう」とか
考える人もいるかと思います。
(10年前の私は、
そんな感じでした)
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
新約聖書・ローマの信徒への手紙12章19節
どんなに
許せないことでも、
どうか許してください。
やり返すことは、
私たちのやることでは
ないからです。
神さまが
決めることなのです。
人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
新約聖書・マタイによる福音書7章1節
なぜなら、
私たちは死後、
一人で、
神の前で
審判が行われるからです。
これは例えであり、
でも本当。
この話はまた今度で。
ともかく、
怒りは愚かです。
そして、
嘆くのも今日まで。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
新約聖書・マタイによる福音書6章34節
参考になれば幸いです。
ありがとうございました。
愛と感謝を込めまして。
神秘早紀