主の御言葉を研究する

ナザレのイエス、人の子として生まれた神の子。

神秘早紀

こんにちは。ライト・コピーライター 神秘早紀です。

イエス・キリストは33歳で
ゴルゴダの丘で処刑される。

そこまでのストーリーを
昨日私は追ってきました。

私は今、泣いています。

この出来事は幼い頃から
知っていたはずですが、

しかし、今改めて
軌跡を辿っていくと
あまりにも悲しいのです。

イエス・キリストは、なぜ死なれたのか?理由は?

彼は無罪です。
ただただ人を救うために

言葉を説いて
時に奇跡を起こして
人々を癒してきました。

そんな神の子、人の子の
イエスを面白く思わなかった人に
(すべては高慢でしょう・・・)

侮辱を受け、
虐待を受け、
辱めを受け、

それでもイエスは穏やかで
威厳すらあり、

十字架刑を受け入れたのです。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

(ルカ23:33〜34)

王の中の王であり、
唯一の王の神、

神の唯一人の
御子・イエスは

なぜ、この境遇を
受け入れたのか・・・。

私は思ったのです。

「イエスは神の子なのだから、
ここまで耐え難い羞恥と痛みを
受けなくてもいいではないか」

「生まれた時の地位も
このような迫害を受けずに済む
貴族、王族だったら・・・?」

いろいろと、私は
一瞬でも思ってしまいました。

しかし、主(神)の意向は
ごく普通の家で生まれた
ごく普通の人間でした。

むしろ、貧しさもある中で
この世界の弱い立場の人の
味方でいてくれたのでした。

この方が、もし貴族として
人間に生まれたのであれば

弱き人たちと接することは
なかなかなかったかもしれません。

それでも、イエスなら
きっと出来るでしょう。

しかし、
出来る・出来ないの
話ではなく

このイエスの生涯を
ストーリーで理解するには

すべてが
きっと最善だったのでしょう。

だって、神の意向だもの。
間違いはありません。

ここまでして、
イエスは私たちを
救いたかったのです。

イエス・キリストは、私たち人間を救いにきた。時間は超越します。

どんな試練があろうとも
神との契約を新しくするために

いけにえが必要でした。

それは、人間にはできません。

生まれてから一度も
罪を犯したことのない
無垢な人間を差し出すこと、

それが神の子です。

そのために、
イエスは生まれてきました。

私たちに御言葉を与え
私たちの罪を帳消しにして、

私たちを
買い取ってくださるために。

私は今、心から
イエスの偉業に感激して

完全に
受け入れています。
受け取りたいと思っています。

聖書には、
神は時間を超越される方と
言われています。

詳しくは、下記のサイトに
解説されています。

https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-God-infinite.html

Got Questions 「神が無限であるとは?」

つまり、聖書の書かれた
その時期だけではなく

私たちが今生きている
この時期もすべて

現在・未来を
超越して働く力と

なっているのです。

ちなみに、過去は
旧約聖書のとおり。

イエスが救世主ということ、
彼は王であるということ、

私たちを温かく
迎えてくださること、

それを私は受け取りたい。
そう思いました。

十字架にかけられたイエスを
確かに悲しく思いました。

けれど、そこで死なれたからこそ
私たちのために契約が
なされたのです。

イエスを信じれば、
罪をお許しになられることを。

この言葉は、
なんでもし放題という意味
ではないことは、

わかりますよね?
そうは書かれていませんが、

イエスの偉業を知っていれば
おのずとわかってきます。

私も正しく生きたい。

あなたにも
この真理が届きますように。

救われますように。

アーメン。

神秘早紀

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