
こんにちは。ライト・コピーライター 神秘早紀です。
昨日、私はあることを
尋ねられました。
「将来、どんなことがしたい?」
「目指しているものはあるの?」
と。
私の人生の中で、
決まって社会的に
権威ある人から言われてきました。
そのたびに私は、
今まではその人にへりくだって、
心の底から思ってもいない
貢献しますということを
自己保身のために行ってきました。
面接なんて、いい例ですね。
こんなことを続けていくと
自分の言葉が虚しく思えて
生きていくたびに
虚無を感じるように
なりました。
しかし、そのような
社会人なりたての頃から
約10年と過ぎましたが・・・
つい先日、
「目標は?やりたいことは?」
と聞かれたのです。
やはり私は見つからないし、
安易に言えるモノではないと
ふと気づいたんですね。
そして、こういう
自己実現的な話は
悪魔的だということにも
気づいたのです。
今だから言えますが
目標というか目的があっても、
安易に人に話すべきでは
ありません。
これは、宝だからです。
神はなぜ、私たちを
創造されたのでしょう。
意味があるから、
目的があるからです。
それは、使命でもあり、
私たちに課せられた
本当の仕事です。
そして、そもそもが
すぐにわかるものではない
ということ。
だって、この世は
魔術で溢れているもの・・・。
その本当の宝を
見つけられないように
支配されているのだから。
そんな中でも
神によって見つけられた時
その宝を
見せびらかす必要はないのです。
つまり、
まるで何かの面接のように
「私は将来、〜〜〜に
なりたいと思います!」
など言わなくていい。
宣言する必要は、全くない。
自分の内に秘めておく、
それだけでいいんです。
シークレット。
宝だもの。
かつての私は
何者かになりたいと
必死になっていました。
さらに、人生の方向性を
口に出せるくらい
ビジョンを明確にしていることが
最上であり、成功と思っていました。
もちろん、そのロジック自体は
正しいと思います。
私はその志に問題があると
言いたいわけではなく、
人に言わなくていい
ということです。
今の時代、ことあることに
人から何気なく聞かれます。
本当に何気ないので、
今まで深く気に留めて
いませんでしたが、
これって宝なんです。
言わなくていいんです。
どうでもいい人に
言わなくていいんです。
それを知る人は
心に決めた人と、
神だけでいいと思います。
「将来、どんなことがしたい?」
「目指しているものはあるの?」
なんて、
愚かな質問でしょう・・・。
そして、この質問が
自分探しの旅へと
引き込ませるのです。
それは、沼です。
私はようやく、
10年以上かけて
この沼から出てきつつあります。
参考になれば幸いです。
愛と感謝を込めまして。
神秘早紀