
こんにちは。ライト・コピーライター 神秘早紀です。
20数年、スピリチュアルにハマっていた私。
当初のこのブログでは、
私のスピリチュアルな探究を
詰め込んでいこうと
やる気満々ではじめたのですが、
どうやら事態は
変わりつつあります・・・。
なぜなら、
巷で蔓延している
ありとあらゆる
スピリチュアルに
危険を感じてきたからです。
「怪しいから」
「なんか宗教みたい」
「現実を生きていない」
「マインドセットでしょ」
いろいろな見方ができるでしょう。
私が長年携わってきた中で
言えることが、
・悪魔や悪魔的な洗脳
・魂が売られている
・人間としてボロボロになる
こういう理由から
私はスピリチュアルから
手を引きたいと
思っております。
その出会いのきっかけは
聖書であり、
イエス・キリストでした。
(宗教ではありません)
もっとも、
私の信じているこの方は、
パンとミルクの教会で、
羊に優しく微笑んでいる
あのような方では
ありません。
とてつもなく勇敢で、
私のために戦ってくれる方です。
どこかの宗教画のような
弱々しいイメージは
私にはありません。
【私は何のために生きているのか】今の仕事が、急に虚しく思えてきた。
私はライター、
マーケティングの分野で
今現在、お仕事をして
お金をいただいています。
しかし、
ふと思ったのです。
「私は何をやっているんだ?」
この仕事を通して
必要なものを
人に届ける・お伝えする
という大切な情報発信者。
そう言ったら
聞こえはとてもいいでしょう。
実際に、
私のお届けしているものは
素晴らしいものばかり。
・・・そう、つい最近までは
思っていたんですよね。
ところが、そんな思いが
今やあまりございません。。
なぜなら、
聖書に出会ったからです。
神の言葉に出会った以上、
真実はこの聖書のみだからです。
私がこれまで売ってきた
ありとあらゆる商品が
どれも二次的に見えてきて
虚しく感じてきました。
というか、終わりのない
無限ループに入り込む
入り口にすら見えてきます。
提供している本人(講師)は
もちろん悪意がない場合が
99%だと思います。
だからこそ、余計に
もどかしくて、
今私はこの感情をどう
表現したらいいのか悩んでいます。
「あなたのより良い人生のために」
そういう思いから
提供している
ありとあらゆる
スピリチュアルや
ビジネス・・・
多くの人が魅力を感じて
たくさんのお金を
いただいてきました。
今までの自分は
このセールスライターに
誇りを持っていましたが、
自分が何を売っていたのか
実感させられた途端、
腰が抜けそうなほど
悲しくなりました。
すべてまやかしであり、
神の教えに反していたからです。
つまりは、人を
悪魔に縛り付けるための
入り口とか、
無限ループを
提供していたわけです。
お金がなくなるのは、ある意味当然だった。
これは私の完全なる
考察みたいな話です。
そして、
懺悔でもあります。
スピリチュアルと
ビジネスを合わせた
私の所属する業界では、
「お金はエネルギー」
「お金は愛」
これは標語のように
もはや当然レベルで
教えられています。
私もそう思っていました。
そして、今もそう思ってます。
ところが、ここにも
悪魔的な概念を感じます。
間違っても、
お金があることが
悪いとは言っていません。
問題は、どのように
集められるのかです。
そして、お金があるから
愛とかなんとかが多い人
というわけではないということ。
お金はお金、
ただただこの世界の
対価で使われるものに
すぎないということです。
ここで少し詳しく
お話をしていく前に、一言。
悪魔は神の真似をします。
真実を少し交えます。
悪魔は賢くて、
商売上手で、口上手。
私たちは、欲しいものがあれば
お金を出して購入します。
購入という行為を通して
欲しいものが手に入ります。
お金があれば
住むところだって
食べるものだって
着るものだって
なんだって手にはりますよね。
そして、欲しい情報も、
欲しい人間関係(人脈)も。
恋愛をお金で売る・買う
という人もいるでしょう。
人からすごいと称賛されるのも
お金を持っていると
そうなりやすいことは多々。
もう、お金があれば
なんでもできるイメージ。
まさに魔法の道具。
しかし、それを餌に
悪魔は巧みに
私たち人間に近づいてくるのです。
取引をしてくるのです。
自分は何を取引しているのか?
ここで一旦、
私の仕事についてお話します。
私がセールスとして
これまで販売してきた中で
多くのお客様は、
多少無理してでも
お金を出す風習がありました。
自分の人生という
プライスレスなものへの
価値提供ができる商品なほど
この世界で売られている
多くの商品は高額になってきます。
そして、需要が高いです。
そこに注ぎ込む人は
決して裕福な人には限りません。
むしろ、ギリギリな中で
お金を出しているイメージが
私の経験上ではあります。
(そして私自身もそう・・・)
そう聞くと
良心を痛める場合もありますが
一方で、お金で済むのなら
それでよかったとも思うのです。
なぜなら、霊的な世界では
お金の価値はどうでもいいからです。
お金は、物質世界だけ
有効なただの通貨だから。
本当に欲しいのは、魂です。
お金がなく、
魂で取引をした場合、
もうこれは
取り返しのつかない
大変な事態です。
お金以上のもので、
むしろ値段はつけられないし、
なんなら、取引に
使うものではありません。
そういう意味では
お金があってよかった
と思わざるを得ません。
なんというギリギリな世界で
私たちは生きているのでしょう。
お金とは、そういうものです。
だから、愛とかエネルギーとか
綺麗な言葉を並べて
お金を崇拝していると
何かがおかしくなります。
お金はお金なだけです。
お金欲しさに、自分を売る人たちもいる。そこに漬け込む人もいる。
いますよね、
お金に困っていて
自分を売るという人が。
身体を売っている人です。
この行為は
とてつもなく危険です。
言うまでもないのですが、
ここでは霊的な視点から
お伝えしたいと思います。
前提として、性行為は
魂レベルで触れ合うのです。
肉体だけではないんですね。
それゆえ、
心が通っていない人との行為は
自分の魂が砕けていくも同然。
本当に、危険なんです。
今の時代、性的関係を
軽視している面も感じられ
悪魔的な世界に
恐ろしさを感じています。
そもそもが、
愛とは肉体関係で
わかるものではありません。
心から思う人との
行為の中で感じる人も
いるでしょう。
しかし私は、
愛とはそう簡単に
わかるものではないと思います。
私の中での結論ですが、
イエス・キリストへの
本物の信仰は、愛でしょう。
ここの愛がわからなければ
一体何が愛といえるのでしょうか?
ちなみに、ここは
今現在、私も探究中です。
男女間でもたらされたり
家族とかの間で生まれるものだけが
愛ではありません。
そして、表面的な綺麗ゴトでは
言い表せません。
イエス・キリストの
これまでの軌跡を知ると、
愛をどうのこうの
定義すること自体が
おこがましく思えます。
まとめ
最後の方は、愛について
少しお話したりと
飛躍したかもしれませんが、
行き着く先はそうなります。
現代の、お金お金という
過度に何かに取り憑かれたような
危ない思考への警告と共に
私の関わってきたことへの
悔い改めを記させていただきました。
「こんなことをしている場合じゃない」
これに対する結論は、
私の中ではまだ出ていません。
しかし、すぐにでも
出来ることもありますよね。
まずは自分のしてきた行為への
悔い改めとともに
その行為から手を引くこと。
(ここが今、難しい)
私のために、
どなたか祈ってください・・・。
そして、今お金のことで
本当に苦しんでいる方、
どうか祈らせてください。
あなたに祝福がありますように。
アーメン。
神秘早紀