神秘早紀の哲学的トーク

【死にかけた経験】高校2年生、鮮明な赤を見てフラリ・・・。

神秘早紀

こんにちは。ライト・コピーライター 神秘早紀です。

私は人生で、
死にかけた病気を経験しました。

それは、高校2年生。
その病気は突然でした。

まさか私が入院するだなんて。

当時、寮付きの学校でした。
親元を離れての生活。

朝、あまりにもお腹が痛くて
トイレに篭っていました。

すると、聞いたこともない音で
何かが排出してきたんです。

それは、血でした。

この時の光景は、
今でも鮮明に覚えています。

真っ赤でした。
絵の具のように真っ赤。

それを見た途端、
ふらりとしました。

圧倒的な怖さと、
何がなんだかわからずで

おとなしい私は
すぐさま親友に
震えながら相談しました。

そこからの展開は早くて
先生がきて、すぐに病院へ。

この病気は、
食中毒でした。

それも、重度の。

病院に運ばれた時には
私は立つことができず

担架で運ばれました。
激痛で悶えていました。

これが、私の経験です。

もはや、あの時のことは
嘘だったように元気です。

なんでも美味しく
いただいています。

人間の身体の強さ、
生命力には驚きます。

なぜ、私だったのか。どうして苦しむ必要があったのか。

私はこの食中毒が完治したあと、
「なぜ、私だったのか」という

誰にも答えられない疑問が
ずっと残っていました。

他にも同じものを
食べた人もいますが、

2〜3日安静で
治った人もいたそうです。

私は、41度の高熱が続き、
寝られない日々、

トイレの度に
見ることになる鮮明な赤。

検査で丸出しにされる
とてつもない羞恥。

毎日の点滴や採血で
ボロボロの状態。

なぜ、私なのか・・・
ずっと思っていました。

この経験は、私には
必要なことだったのか?

と考える時が
未だにあります。

スピリチュアル脳ですね。

理由をつくるならば、
私はここで生まれ変わる
必要があったのでしょう。

当時の私は
心身が傷ついていましたから。

すべての過去を
手放し、

生きようとする自分を
心から受け入れること。

あの頃、私は前の学校で
いじめに遭いました。

仲間外れと悪口。
私は腫れ物扱いでした。

この経験を
すべて浄化したのが

あの食中毒だったのかも
しれません。

なぜ起きたのか、それも大切な視点だけど・・・

ここで何がいいたいのかと
言いますと・・・

起こったこと、
あらゆることを
受け入れることです。

「なぜ」

と思えば、永遠に
掘り下げられます。

人生は問いかけで決まるとも
誰かが言っていたので

それも大切かもしれません。

しかし、
あまりにも左脳的すぎる。

どんなことが起きたって
生きているのだから

私は守られているんですよね。
それは大いなる存在に。

だから、それがたとえ
受け入れ難いことにしても

「なぜ」と原因探しをするのは
苦しい生き方だと思うのです。

私があのような経験を
したからこそ、

身体の本当の強さが
身に染みてわかります。

あの苦しすぎる痛みと
絶え間ない熱と
死を本気で感じた心、

あれらをもってしても
私は生きたのですから。

なんて素晴らしい
身体なんだろうと。

なんて人間は
強くて逞しいんだろう。

生きているって、
本当にすごい!

パワーそのものだ!

こんな感じですね。

ふと、自分自身に
感謝を感じたのでした。

ありがとうございました。
愛と感謝を込めまして。

神秘早紀

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