こんにちは。
ライト・コピーライター
神秘早紀です。
愛を表現するとは、どういうことでしょうか。
私はそれをナチュラルにできたことがあります。
それは、音楽を通して表現するということ。
ピアノにエネルギーが乗った。だから伝わった。
大学の夏休みに、実家に戻ったんです。
私が子どもの頃から使っていたピアノを
処分する日が近いのでした。
それは、両親が離婚をするから。
もう、置いておけないのです。
中学1年生の頃に辞めたピアノ、
あれ以来、一度も弾いていません。
そのピアノに触れて、ふと弾いてみたんですね。
あれだけ面倒だったピアノのレッスンも、
今や遠い記憶。
私は、このピアノと共に
過去の私、そして離れていく家族への
感謝や悲しさを募らせました。
指は、覚えていました。
これが最期。
そう思って大切に弾きました。
この時の思い出は、今も鮮明に残っています。
本当に、心を込めて弾きました。
映画タイタニックの主題歌
MY HEART WILL GO ON
(マイハート・ウィル・ゴー・オン)
弾いている途中、誰かの啜り泣きが聞こえたんです。
直感的に、お母さんだと思いました。
弾き終わってから、台所に行くふりをして
お母さんを盗み見てみたんです。
お母さんの目は、潤んでいました。
私の愛やら、感謝やら、悲しさやら、
もう戻らないあの過去・・・
そういったエネルギーは
お母さんにも伝わったのだと感じました。
何が、感動を呼び起こすのか。
感動とは、何でしょう?なぜ、心が震えるのでしょう。
上記の話だと、私は「悲しさ」が大きいと思います。
だって、ピアノを弾いていた私自身が
何よりも悲しさを感じていたんです。
でもそれは、悲嘆に暮れるというような
ネガティブなものではありません。
「ありがとう」という気持ちもありつつ
もうどうしようも出来ない現状へ
お別れをしたという悲しさ。
もはや、悲しいという単語も
しっくりきません・・・。
言葉にならない、大きく揺れる情動が
感動なんだと思います。
それを私はピアノで表現したのでした。
愛とは、喜怒哀楽すべてを含むことなのかもしれない
悲しさ、と私は先ほど言いました。
しかし、怒りもありました。
両親の離婚、家庭が壊れていくことへ
私は寂しさと共に怒りを覚えていました。
(今は、それはありません)
そして、喜びもありました。
ピアノがまだ弾けたということ。
美しい曲を弾くことができるという、
今ここの喜びです。
楽しかったかもしれませんね。
・・・喜怒哀楽という枠に、
強制的に当てはめてみました。
当てはまるんです。
愛とは、これらをすべてまとめたような
心を動かすもの(感動)の総称なのかな?
とすら、最近思います。
今でも心に残る、
もう戻らない日常の思い出でした。
ありがとうございました。
愛と感謝を込めまして。
神秘早紀