私は高校の時、
全寮制の学校に
いたことがあるんです。
その学校は
整備された山にありました。
当時は
寂しいところだと
思っていたけど、
今にして思えば
あそこは純粋な場所だった。
外界と遮断されていて
いい意味で
自然体でいられた
自然の中で暮らす
素晴らしい場所だった。
とはいえ、
当時はそれが嫌で嫌で、
お買い物したいとか
どこでもいいから出たい、
もっと文明的に遊びたいとかで
この山の中にある寮が
嫌で仕方がなかった。
勝手に
外出しちゃいけないし、
そもそもが
歩いていける距離じゃない。
「下界に降りたい〜」
とかはよく言ってたし、
みんなの共通言語だった。
ここからが
本題なのですが・・・
私の大好きだった先生が
あることを言ってたんでうs。
「寝っ転がって空を見ることができるって、今しかできないと思うよ。僕だったらずっとそうして過ごしてるね〜」って。
大人になった今だから
その言葉がよ〜くわかる。
空を見ようにも、
電線が、建物が
純粋に広がる空の美しさを
邪魔している。
そして、見ようにも
都会では他人の目がある。
街であれ、公園であれ、
空をぼーっと見上げてみ?
おかしな人扱いだからね。
特に一人ならね。
それか、何かがあるのかと
変に疑われたりして
ゆったりと見られない。
ましてや女性一人、
いろんな意味で危ない。
ぼんやりと
何の心配もなしで
見られやしない。
そういう世界に
私は今生きているんだ。
人の目という
言語以上の強い念が
私を穏やかにさせない。
何もなくたって
空をぼーっと見てみたい。
人もいなくて、何か言われず、
何者(物)も邪魔をせず、
天をぼんやり見上げるだけ
っていう素朴な願望を
胸に抱いております。

だから、カフェで
空が見れる場所となれば、
それはとても嬉しい!
同時に、今生きている
この世界の狭さに
息苦しさと
悲しみを感じる。
どこを切り取っても
不自然なものが紛れている。
とてもおかしな世界を
生きているわけです。
って思う私が、
残念な人・おかしい人と
思われるほどに。
だから余計に
息苦しくなる。
神秘早紀