神秘早紀の哲学的トーク

【天使とは】そして、人間とは・・・

神秘早紀

人間よりも天使は上の者、という考えを、常識のように抱いてました。

そんな私は
私は昔から疑問でした。

「天使って何者?」
「どうすごいの?」

なんかよくわからないけど
神聖で不思議で凄い・・・
という、先入観がありました。

聖書を読んでいくと
天使(御使い)は結構
出てきたりしますね。

見た目からして
人間ではないことは
明らかなようです。

(お目にかかりたい笑)

実際、使徒ヨハネは
天使をこの目で見ました。

すぐさま、
拝もうとひれ伏した時、
聖書ではこう書かれています。

すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」

(黙示録 22:9)

天使は高き者に
見えるでしょう・・・。

しかし、
同時に被造物です。

天使を拝むことは
偶像崇拝。

そんな時、

天使について
少し知りたくなった私は
ある言葉に出会いました。

今回の記事では、
自分ゴトとして考えて欲しい
凄い内容があります。

 ↓  ↓  ↓

人間よりも力があり、美しく、不思議な力のある『天使』について語る。

天使とは

M・L・アンデレアセンという
クリスチャンであり
アドベンチストでもある方が

このように言ってました。
(下記、引用文です。)

「『しばらくの間、彼を御使たちよりも低い者となし・・・』(へブル 2:7)。多くの点で人間が 天使たちよりも今は低い者であるということは、明らかである。しかし、人間が高い者になると いう可能性を秘めていることも、同様に明白である。
天使たちは力に卓越している。光の速さよりも速く移動する。人間には与えられていない力を もっている。(詩編 103:20、ダニエル 9:21、イザヤ 37:36、列王記下 19:35)。天使たちは、 地上の偉大な者たちにさばきを宣告し、執行する。神の聖徒たちを守り、彼らのまわりに陣を敷 く。サタンをつなぎおく力をもっている。(ダニエル 4:13, 17、詩編 34:7、黙示録 20:2)。

(引用元:『創造主の一大傑作 人間』サンライズミニストリー発行)

他方、人間はもっているが、彼らには与えられていない事柄もある。天使たちは、単一の存在 であり、我々の知っているような愛情のきずなで結ばれている家族生活はない。天使たちには、 父親、あるいは母親、兄弟、姉妹、息子、娘はいない。彼らは結婚しない。故に、人生で最も深 みのあるいくつかの経験を知らない。天使たちは、幼年時代の喜びを知らず、この世に新しい生 命を誕生させることも、母親あるいは父親になる喜びを感じることもない。また反対に、不安な 思いでわが子を看病し、その生命がだんだん衰弱して行くのを見るような苦境を通ることもない。夫婦の愛、父母の愛、またそれに伴う悲しみなどの深く高尚な経験は、天使たちには与えられていない。

(引用元:『創造主の一大傑作 人間』サンライズミニストリー発行)

天使たちには、福音を宣べ伝えることは委託されていないし、自分の信仰のために苦しんだり死んだりすることも許されていない。彼らは、投獄または拷問に直面したことはない。また彼らは、罪のぬかるみから神の国に引き上げられることの非常な喜びも知らない。回心は、個人的な体験としては彼らには理解できない。また彼らは、罪のゆるしの優しい知らせを聞いたこともない。我々の判断では、我々がこの世で知っている人生の最も深く尊い経験は、彼らには与えられ
ていない。彼らは現在、人間の知恵をはるかに超えた知恵をもっているが、それでもある点においては、人間は彼らよりも高い者である。

(引用元:『創造主の一大傑作 人間』サンライズミニストリー発行)

天使たちは我々の全く知らない力と機会をもっているかもしれないが、人間は、神のご計画の 中で天使たちよりも高い地位を受ける運命にあるのかもしれない。この主題を更に深く追求しな ければ、我々はただ、天使たちは仕える霊であって奉仕する者である一方、我々は子であり相続 者であるという事実に留意するだけに止まってしまう。相続人が子供である間は、僕として監督 の下にいる。その人が成長した時、彼は家の主人となるのである」〈へブル 1:14、ガラテヤ 4: 1, 2 参照〉(へブル書、90-92 ペ-ジ)。

(引用元:『創造主の一大傑作 人間』サンライズミニストリー発行)

すべてを語って
くださったかのような

力強いメッセージを
引用させていただきました。

(アンデレアセンさん、ありがとう)

ここからは、
私の個人的な話になります。

今ここの自分だって、尊い。辛いことも、嬉しいこともすべて。

私は今この世を生きる
自分を虚しく思っていました。

「早く御国に行きたい」
「この世は疲れた」
「イエス様に会いたい」

この世が辛すぎるがあまり
一日でも早く
神の国に行きたく、

一日でも早く
イエス様のご再臨を
強く望んでいました。

この思いは、
純粋に待ち望むよりも

どこか現実逃避が
あったと思います。

しかし、
今この自分だって尊い。

それに気づかされたのが
上記の文章でした。

苦しみだってあるし、
喜びもたくさんある。

こういった素晴らしい感情は
神さまからのプレゼントです。

人間以外の動物には
感情がありません。

一部の動物こそ
感じ取る力はありそうですが

深い悲しみも、喜びも、
あらゆる感情を表現して
味わい尽くすことは
できません。

あの偉大そうな天使だって
持ち合わせていないのです。

人間には
与えられています。

動物たちも、天使も
私たち人間だって
みんな被造物。

けれど、人間にだけは
特別な愛を注いで
くださっているのです。

それがわかった時、
私はこの今という私を
もっときちんと生きたいと
強く思ったわけでした。

アーメン。

神秘早紀

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