主の御言葉を研究する

【地獄とは?罪と刑罰である永遠の滅び】と救われるたった一つの方法

神秘早紀

悪魔は本当にいるし、想像以上に恐ろしいです。ですが、それ以上に恐ろしい話があります。

今回は
少し怖い話をします。

でも、絶対に
知っておくべきことです。

あなたは、
「永遠の滅び」というのを
聞いたことはありますか?

私は聖書を読むまで
知りませんでした。

そして、
読んでいる人でも

実はよくわからない
という人も多いです。

この記事では、
人間である以上、
誰もが通る道である

永遠の滅びについて
解説していきます。

目次

元悪魔崇拝者が、イエス様に立ち返った鳥肌もののすごい証しです。悪魔の執念深さにゾッとしました。

【地獄とは】聖書のいう永遠の滅びの場所

地獄とは

端的にいいますと、
永遠の滅びの場所とは
地獄で間違いありません。

地獄とは、
霊的な罰や永遠の苦しみを
受ける場所とされています。

地獄はゲヘナとも呼ばれ、
罪人たち、そして
サタンや手下の悪魔たちが
永遠に罰を受ける場所です。

まず

人は皆、死にます。
そして、後に
裁きを受けます。

いわゆる、これが
最後の審判です。

裁かれる方(=神)が
まず2つの道へと
区分けるのです。

羊と山羊という例えで、
聖書は語られています。

羊とは、『私の父に祝福されたされた人たち』(マタイ 25:34)です。

山羊とは、『呪われた者ども』(マタイ 25:41)です。

この2種類の人に
分けられるのです。

そして、山羊の人は
永遠の滅び(地獄)へと
入ることになるのです。

聖書では、それについて
いくつかの箇所で
言及されています。

こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである

(マタイ 25:46)

しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼさえるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。

(2ペトロ 3:7)

そして、聖書では
地獄について

具体的な特徴も
挙げられています。

 ↓  ↓  ↓

【地獄の特徴】聖書からの引用

聖書 種類

地獄の火(永遠の火):

もし片方の手か足があなたをつまづかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。

もし片手の目があなたをつまづかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。

(マタイ 18:8~9)

硫黄の臭い:

しかし、獣は捕えられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕えられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と偽預言者の両方は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。

(黙示録 19:20)

絶え間ない苦しみ:

こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。

(マタイ 25:46)

その苦しみの煙は、世々限りなく立ち上り、獣とその像を拝む者たち、また、だれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休まることはない。

(黙示録 14:11)

死がない(第二の死):

死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。

(黙示録 20:14)


サタンと悪霊が行く場所:

それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。

(マタイ 25:41)

絶望的な場所:

そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからお前たちの方に超えて来ることもできない。

(ルカ 16:26)


神からの隔離(神さまがいない):

彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう。

(2テサロニケ 1:9)

三時ころ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

(マタイ 27:46)

なんという・・・
恐ろしいところでしょう。

私は
行きたくありません。

聖書が語る、死後からの『永遠の命』と『永遠の滅び』

イエス様

聖書を読んでいくと、

『永遠の命』という言葉が
ありますよね。

『永遠の滅び』と
対になっているように。

私たちは今のこの生を
終えますと、

それで無には
なりません。

そののち、
裁きに遭うのです。

なぜなら、
人間は罪人だから。

すべての人が
罪人だから。

人を殺した人も
人に親切をした人も
等しい罪・

アダムとイブから続く
原罪を抱えています。

その罪の刑罰は、
死です。

第二の死
ともいいまして、

この第二の死とは、
永遠の滅びなのです。

それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。

(黙示録 20:14 )

しかし、
その罪から

神さまは救いたいのです。
人を愛しているから。

そこで、
神さまはある方法を
とりました。

それが、
イエス・キリストの
十字架の死です。

その前に、
ある疑問が
出た人もいるでしょう。

「神さまが裁かれるんでしょ?ならば、永遠の滅びを無くしちゃえばいいじゃない」とかね。

(てか、これ昔の自分です)

答えは、NO。

それを良しとしません。

この決まりごとは
『律法』といいまして

神さまが定められました。

神さまの定めたルール
命令ともいいましょうか。

神によって
求められるあるべき姿。

神さまは、
あなたという人間を
清く迎え入れたいのです。

神さまは愛ですが、
義の神でもあります。

ゆえに、この真実は
変わることがありません。

これをもって、
『永遠の命』か
『永遠の滅び』か

あなたは後に
裁かれるのです。

死んで終わりでは
(終わり=無、ならば)

ないってことです。

死んだら無になると思っていた。違った。

私は聖書を読む前までは

死=解放
というイメージでした。

肉体を脱いで、
意識体として

大いなる源へと
戻っていくんだと
本気で思っていました。

いわゆる、
ニューエイジ思想です。

もともと
私はスピリチュアルが
大好きでありまして。

まぁ、そんな話は
今はいいですね。

ともかく、死んだら
あらゆる意味で
終わりだと思ってました。

ですが、
実際は2択なのです。
(死んでから選べない)

『永遠の命』か
『永遠の滅び』か

なんですね。

今この現代は
自殺される方が多いです。

とやかく言えませんが
現実を生きることが
耐え難かったのだと
思います。

しかし、
死んでも解放は
されないのです。

本当に悲しいことですが
地獄という場所では

第二の死といって
永遠に苦しみが続きます。

しかも、いずれは
サタンたちも行く場所。

想像に絶します。
恐ろしすぎる。

地獄の存在を
信じる・信じない
関係なく

これは概念でも
ファンタジーでもなく

生きる聖書では
存在を明確にされています。

「現実がすでに地獄やねん」

そう思う方は
いるでしょう。

しかし、
地獄はもっと地獄です。

(変な日本語ですね)

永遠の滅びという
地獄を避けるには、

道は一つです。

罪から救われるために
神さまは一つの道を
示されています。

それは、
イエス・キリストの
十字架を受け入れること。

罪の支払う報酬は
死しかありません。

その死を

イエス様は
私たちの代わりに
死んでくださったのでした。

イエス様も耐え難いほどの
恐ろしいことが、
死でした。

三時ころ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

(マタイ 27:46)

神さまがいない場所が
死なのです。

イエス様のもとに
立ち返れば、

私たちは
今の肉体こそ滅びますが

その死は、眠りです。

最後の審判の時に
そののち裁かれて

永遠の命を
与えられるのです。

永遠の命とは

するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

(ルカ 23:43)

※この聖句は、別の訳では、「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」(同句)と書かれてもいます。パラダイス、いいですね〜!

アーメン。

神秘早紀

-主の御言葉を研究する
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